虎のつぶやき
言語論
2024/01/13(土) 09:28:00
言語とは人類が生み出したものの中でも、かなり重要な発明になります。
ですが、文化圏によって言語は大きく異なります。
それは言葉や文字だけではありません。
分節が大きく違うのです。
例えば、日本語だと水、お湯のように温度によって全く同じものでも
呼び方が異なります。
英語では温度に関係なくWaterです。
このように、言語によって何をもって区別するかは異なるのです。
分節は恣意的(しいてき)なのです。恣意的とは、でたらめという意味です。
あるものを発見したとして、それを各文化によって独自の分節を施し、
名づけをして、それから認知するのです。
日本人は肩が凝ったといいますが、英語ではStiff neck(スティッフネック)といいます。
つまり肩ではなく、首なのです。
英語圏では、肩ではなく首として認知しているのです。
このように、同じものを見ても分節はでたらめです。
名づけもでたらめです。
なので認知の仕方もでたらめなのです。
ちなみに分節する前のものを、「ありのままの現実、ものそのもの、裸の現実」などと
表現されることが多いです。
外国語を学習するときは、言語の恣意性をよく理解すると
効率がよくなると思います。
次回予告 メディア論
ですが、文化圏によって言語は大きく異なります。
それは言葉や文字だけではありません。
分節が大きく違うのです。
例えば、日本語だと水、お湯のように温度によって全く同じものでも
呼び方が異なります。
英語では温度に関係なくWaterです。
このように、言語によって何をもって区別するかは異なるのです。
分節は恣意的(しいてき)なのです。恣意的とは、でたらめという意味です。
あるものを発見したとして、それを各文化によって独自の分節を施し、
名づけをして、それから認知するのです。
日本人は肩が凝ったといいますが、英語ではStiff neck(スティッフネック)といいます。
つまり肩ではなく、首なのです。
英語圏では、肩ではなく首として認知しているのです。
このように、同じものを見ても分節はでたらめです。
名づけもでたらめです。
なので認知の仕方もでたらめなのです。
ちなみに分節する前のものを、「ありのままの現実、ものそのもの、裸の現実」などと
表現されることが多いです。
外国語を学習するときは、言語の恣意性をよく理解すると
効率がよくなると思います。
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